蘇我入鹿は馬子の孫である。
天皇家がいまだ祭司王にすぎず
執政権がなかった当時の大王は
蘇我氏であり馬子以降3代は
蘇我王朝であった。
推古天皇
聖徳太子
蘇我馬子の3頭政治は有名であるが
それを仕切っていたのは
馬子だったのである。
その子蝦夷は人格的には申し分なかったが
政治的には優柔不断で
蘇我の権勢にかげりがみえた。
そのため
それをみた入鹿は若さや
剛直な性格ゆえ
蘇我の独断専攻をつよめた。
その結果
危機感をつよめた天皇家と中臣(藤原)
に処断されるにいたったのである。
乙巳(いっし)の変が
それである。